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東京地方裁判所 平成5年(ワ)11455号 判決 1996年6月05日

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

藤井篤

長澤彰

生駒巌

浜口武人

飯田幸光

須藤正樹

鷲見賢一郎

後藤富士子

羽鳥徹夫

森賀幹夫

被告

破産者オウム真理教破産管財人

阿部三郎

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の土地・建物について、東京法務局練馬出張所平成五年一月一四日受付第一三一四号贈与による所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

主文第一項と同旨

第二  事案の概要

本件は、新興宗教団体であるオウム真理教(以下「オウム」という。)の付属医院に入院していた原告が、入院中にオウムに対してその所有する不動産をお布施として贈与したが、右はオウムの信者である同医院の医師らの強迫によるものであるとして、右贈与の意思表示の無効ないしその取消を主張し、所有権に基づく妨害排除請求権としての所有権移転登記抹消登記手続を請求している事案である。

一  争いのない事実等

1  原告は、住所地において甲野電機店を経営してきたが、昭和五四年一二月三〇日、脳梗塞で倒れて東京医科大学付属病院に入院して以来、多発性脳梗塞により長年入退院を繰り返し、平成三年一二月二六日からは東京都足立区所在の鈴木病院に入院していた者である。

取下げ前の併合事件(当庁平成五年(ワ)第一一五五七号損害賠償請求事件)被告甲野春子(以下「春子」という。)及び甲野太郎(以下「太郎」という。)は、それぞれ原告の妻、長男で、これまで原告の看護にあたってきた者である。

2  オウムは、B'ことB(以下「B」という。)を教祖とする新興宗教団体であり、東京都中野区野方に信者である医師、看護婦等をスタッフとするオウム真理教付属医院(以下「付属医院」という。)を設置して、もっぱら信者に対し診療を行っていた。

オウムは、同七年一二月一九日、東京地方裁判所の解散命令の確定により解散し清算手続中であったところ、同八年三月二八日同裁判所において破産決定を受け、弁護士阿部三郎が破産管財人として選任された。

3  原告は、同四年一月一四日、同人の次女である甲野夏子(以下「夏子」という。)から紹介されたオウムの幹部であるE(以下「E」という。)の勧めにより、付属医院に入院し、以降、同五年三月三日、太郎が約一〇人の男性を伴って付属医院に赴き、同医院の医師らの制止を振り切って原告を退院させるまでの間、付属医院に入院していた。

同医院において原告の治療にあたったのは、H医師(以下「H医師」という。)、K看護婦(以下「K看護婦」という。)、M医師(以下「M医師」という。)らであり、同人らはいずれもオウムの信者であった。

4  原告は、同四年五月ころ、オウムに対し、金一〇〇万円をお布施名下に贈与する旨約し、その後、太郎がオウムに対し金一〇〇万円を支払った。

また、原告は、同四年八月当時、別紙物件目録記載の各土地・建物(以下「本件不動産」という。)を所有していたが、同年八月末から一二月までの間に、オウムに対し、本件不動産を贈与(以下「本件贈与」という。)し、東京法務局練馬出張所同五年一月一四日受付第一三一四号をもって同四年一二月二六日贈与を原因とする所有権移転登記手続を経由し、同五年一月七日、本件贈与の公正証書(以下「本件公正証書」という。)を作成した。

5  原告は、オウムに対し、同年七月二七日の本件第一回口頭弁論期日に、本件贈与契約を取り消す旨の意思表示をした。

二  原告の主張

1  原告は、平成四年五月ころ、K看護婦から、資産内容を尋ねられ、本件不動産を所有している旨返答したところ、それ以来、付属医院の医師らは、本件不動産をオウムに対しお布施するように要求するようになった。

原告は当初は本件不動産は次女の夏子に与えるつもりであったため、これを拒否した。

しかし、医師らの右要求は連日、執拗に続けられ、その間にも、医師らが「温熱療法」と称して原告を摂氏約四七度の熱湯に漬けて火傷を負わせたり、付属医院の他の入院患者が死亡し、その遺体が医院のベッドに数日間にわたって放置され異臭が漂うという出来事があった。

そして、原告は、同年六月ころには、本件不動産の半分をオウムに対し贈与することを承諾し、その後、遅くとも同年一二月末ころまでには、本件不動産の全部をお布施名下に贈与する旨の意思表示をした(以下「本件意思表示」という。)。

2  しかし、右意思表示は、付属医院の医師らに生殺与奪の権を握られた原告が、長期間にわたり抑圧された精神状態に置かれ、かつ「温熱療法」等により著しい恐怖感を与えられたまま、連日執拗にお布施を要求されたため、これを拒めば命を奪われ、遺体すら放置されるであろうと思い畏怖し、やむを得ずなしたものであるから、極めて重大な瑕疵のある法律上無効な意思表示と評価することができ、そうでなくとも強迫によりなされた取り消し得べき瑕疵ある意思表示である。

三  被告の主張

原告が付属医院に入院する以前は、春子及び太郎は、介護の必要な原告を邪魔者扱いしてきたものである。それに比べて、付属医院の医師らは、原告に対し、誠心誠意、治療及びリハビリ訓練を行い、その結果、原告は多少の発語ができるようになる等症状が軽快した。原告は、付属医院の誠実な対応に感謝し、オウムに対する信頼を深めて、本件不動産をオウムにお布施することを決意したものであって、原告の本件不動産の贈与の意思表示は、自らの意思に基づくものであり、強迫行為は存在しない。

四  争点

原告の本件意思表示は、付属医院の医師らに強迫されて畏怖したことによってなされた無効または取り消し得べき瑕疵ある意思表示であるか。

第三  争点に対する判断

一  事実経過等について

1  オウムは、信者が出家する場合には全財産をオウムに寄付するよう求めたり、信者が死亡した場合は全遺産をオウムに寄付し、教祖であるBを祭祀の承継者とするという内容の遺言状を書かせる等、日常的に信者に対し徹底的な金品の寄付を要求していた(<証拠略>)。

2  原告は、昭和三〇年から、住所地において甲野電機店を経営しており、将来は、長男の太郎に同電機店を継がせ、長女に近くの土地を与える考えを持っていた。そして、本件不動産は、原告が将来次女の夏子に与える目的で、同四七年に購入した土地及び同土地上に翌四八年建築したアパートである(<証拠略>)。

3  原告は、同五四年一二月三〇日に脳梗塞で倒れて以来、平成四年一月一四日まで、リハビリ訓練のために自宅から近い病院への通院ないし短期の入院と、遠隔地の病院に長期入院しての温泉治療を繰り返していた。その間、原告の家族は、原告の妻である春子が中心になって原告を介護してきたが、春子が鬱病に罹患し、同三年一二月ころには症状が悪化して原告の介護が困難になったため、春子、太郎らは自宅療養を断念し、同年一二月二六日、足立区にある鈴木病院に原告を入院させた。

そのころ、原告の次女夏子は、大学の所属ゼミの助教授に依頼されて同人とBとの対談の手伝いをしたことを契機に、オウムの信者らと関係を持つようになり、その中でオウムの幹部であるEに原告の病気のことを話したところ、Eは、夏子に対し、原告を付属医院に転院させることを強く勧め、さらには付属医院のH医師も夏子、春子に対して「オウム真理教の病院に任せてくれたら必ず治してあげます。」等と申し向け、原告を付属医院に入院させるよう勧誘した。

春子らは、オウムは社会問題を引き起こしている団体であることは承知していたが、付属医院は当時入院していた鈴木病院よりも自宅に近かったことや、付き添いが不要であるという利点があり、また、H医師から宗教と治療は別である等と説得されたこともあり、原告を鈴木病院から付属医院に転院させることにした。その際、原告と春子は、H医師らから付属医院に入院するには形式だけでも入信する必要があると言われたため、やむを得ずオウムへの入信手続を行った(<証拠略>)。

原告は、同四年一月一四日に付属医院に入院したが、同時点での原告の病状は、脳梗塞の後遺症により失禁出現、独立歩行は不可能で介助が必要、構音障害があり自由に発声できないという状態であり、初老期痴呆症状も見られたが、おおむね正常な判断能力を有していた(<証拠略>)。

4  付属医院は、H医師、M医師、K看護婦らが中心になり、原告の治療、リハビリ訓練を行った。そのうち、H医師は相当程度に経験豊富で優秀な心臓外科医であった(<証拠略>)。

しかし、付属医院は、元来病院として設計された建物ではない雑居ビルの二階に開設された床面積268.53平方メートル、ベッド数八床の小規模な診療所にすぎなかったにもかかわらず、多くの診療科目を標榜し、リハビリ専門の病院ではなかった(<証拠略>)。また、リハビリ訓練の内容も、狭い廊下を松葉杖を使用して横歩きさせるという程度に過ぎず、当時の医学水準に比べて著しく劣る内容であった(<証拠略>)。

5  春子らは、原告入院後しばらくの間は、その看護を付属医院に任せきりであり、原告を見舞うことも少なかったため、原告はオウムの信者の中に孤立した状態に置かれた。

この間、同四年五月ころから、付属医院の医師らは、太郎や春子に対し、しばしば「温熱療法」をするためのお布施を要求するようになった。太郎は、次第にオウムが原告の財産を狙っているのではないかとの不信感を抱きつつも、右要求に応じて「温熱療法」の代金、お布施等の名目で、相当額の金員を支払ったところ、医師らは、原告に対し、遅くとも同年八月ころから、継続的に「温熱療法」を行うようになった。

6  ところで、原告は、付属医院に入院する前から、温泉療法を受けていたが、その内容は、摂氏四〇度程度の温泉等に入浴させて患部を加温し新陳代謝を促進することにより、老廃物を排除したり血液やリンパの流れをよくするというものであった(<証拠略>)。これに対し、付属医院の「温熱療法」は、摂氏約四七度の湯に約五分間から一五分間も全身首まで入浴させるというものであった(以下「本件温熱療法」という。)。

しかし、このような高温の湯に全身を浸し体温を上昇させることは、原告のような脳梗塞の患者に対し効果がないばかりか、血圧や脳内温度の急激な上昇を招き危険を伴うものであり、原告は、本件温熱療法により、その都度不必要な著しい苦痛を被り、時には意識を失うことさえあった(<証拠略>)。

7  この間、原告は、付属医院の医師らから、所有不動産の有無について質問され、本件不動産を所有している旨を教えたところ、右医師らは、原告に対し、本件温熱療法を繰り返しながら、再三にわたり本件不動産をオウムにお布施するように迫り、お布施しなければ原告の病気は治らない旨を執拗に申し向け、同四年八月一七日には、当時オウムの顧問弁護士であったO(以下「O弁護士」という。)とともに、春子らに無断で、原告の住民票を付属医院所在地に移転し、原告の印鑑登録も行った。春子や太郎は、同年一〇月これを知り、急遽原告の住民票をもとの住所地に戻したが、ここに至り、オウムから原告の財産を守るため、原告を付属医院から退院させた方が良いと考えるようになった。

しかし、それを察知した付属医院の医師らは、春子らに対し、「今付属医院を退院すると治療効果が下がる」等として退院を拒み、かつ、春子らの要求にもかかわらず原告の外泊を許可しないようになり、家族の面会についても短時間に制限したうえ、H医師ら付属医院の関係者が立ち会って監視したり、原告と家族の会話をテープレコーダーを用いて録音する等、極めて異常な対応を取るようになった。そのため、原告は、本件温熱療法による苦痛や本件贈与を再々にわたり要求されている旨を太郎らに打ち明けることさえできない状況に置かれた(<証拠略>)。

8  右経過の中で、原告は次第に肉体的にも精神的にも追いつめられ、遂に、本件不動産の二分の一をお布施することを承諾したところ、さらに医師らやO弁護士から執拗に本件不動産全部をお布施するように要求された。

結局、原告は、右要求を拒むことができず、同年一二月一六日、本件不動産全部をオウムにお布施するという趣旨の手紙を書かされるに至った。ところが、同日、偶々面会にきた春子がこれを目撃し、付属医院の医師らに激しく抗議したところ、付属医院の医師らとO弁護士は、その翌日である同月一七日、春子らには無断で急遽再び原告の住民票を付属医院所在地に移転し、家族の面会をさらに制限するようになった(<証拠略>)。

9  以上の経過を辿り、原告は、同五年一月七日、H医師及びK看護婦に連れられて公証人役場に行き、本件不動産をオウムに贈与する契約の本件公正証書を作成した(争いのない事実)。その際、川崎謙輔公証人は、原告の贈与意思が本心に基づくものかを疑い、二、三〇分間にわたって原告と二人きりで原告の意思を確認した。その間、H医師及びK看護婦は同じ部屋の隅で待機しており、本件公正証書の作成後は原告は同医師らに付き添われ付属医院へ帰った(<証拠略>)。

10  太郎らは、同年二月二三日に至って、本件不動産がオウム名義に贈与を原因として所有権移転登記がなされていることを知って驚き、同年三月三日、遂に原告を付属医院から自宅へ連れ戻した(<証拠略>)。

二  検討

オウムは信者に対し、徹底的に金品のお布施を要求することを活動方針の一つにしていたものであり、医療機関が入院患者に所有不動産の有無を確認することは極めて不自然であることに照らすと、付属医院の医師らが原告の本件不動産の所有事実を聞き出したのは、原告をして本件不動産をお布施させるのが目的であったというべきである。

そして、前記認定事実によれば、右医師らは、原告が脳梗塞の後遺症により、行動及び言葉が不自由で日常生活にも介助が必要な、精神的にも肉体的にも困憊した状態にあったことを知りながら、長期間にわたって家族との面会を厳しく制限し、かつ、周囲の医師、看護婦、入院患者らはいずれもオウムの信者であるといういわば孤立した環境に置き、更に原告が本件温熱療法により、不必要な苦痛(頭部を除く全身を摂氏約四七度の湯に入れられることは通常人であれば著しい苦痛を覚えることは自明である。)を与え、時には失神状態に陥らせた上で、原告に対し、本件不動産をお布施しなければ病気は治癒しない等と執拗に寄付を迫ったのみならず、原告の家族らが住民票の移転や本件不動産のお布施要求等に対して不信感を抱くに至ったことを察知するや、家族の面会に監視をつけたり会話を録音する等の異常行動をとり、家族からの退院申入れも拒絶したうえ、本件温熱療法を継続して執拗に寄付を迫り、ついに原告をして本件贈与の意思表示をさせたことが明らかである。

右によれば、付属医院の医師らは、前記状態に置かれた原告に対し、継続的に繰り返し本件不動産の贈与を要求し、原告をして本件贈与をしなければならないという心理状態に追いこみ、かつ、これに応じなければ今後も原告を孤立した状況に置き続けたうえ、身体に対し本件温熱療法等による苦痛を加え続ける旨を示してその反抗を抑圧し、よって本件贈与の意思表示をなさしめたものと認めるのが相当である。

このことは、付属医院の原告に対する治療は、十分ではなかったばかりか、原告に対し不必要な苦痛を与えるだけの本件温熱療法を用いる等、医学的に見て社会的相当性を逸脱していることに照らせば、被告の主張のように、原告が付属医院の治療に感謝していたという事実は認めることができず、原告において本件不動産をオウムに贈与すべき積極的動機は全く見当たらないばかりか、むしろ、次女の夏子に残すために取得した本件不動産を突如としてオウムに贈与するのは極めて不自然であるということからも首肯することができる。

なお、本件公正証書の作成であるが、公証人が原告の贈与意思を確認している間もH医師らは同じ部屋にいて、右公正証書の作成後は原告は同医師らに伴われて付属医院に帰ったというのであるから、原告は一貫してH医師らの前記強迫の影響下に置かれた状態にあったと評価すべきであり、右公正証書が作成されているという一事をもって、原告の贈与の意思表示に瑕疵がなかったということはできない。

したがって、本件贈与の意思表示は、これを総合的に考察すると、付属医院の医師らの強迫によりなされた意思表示というべきであり、法律上無効なものといえるかはともかく、少なくとも、取り消し得べき瑕疵ある意思表示に該当すると認めるのが相当である。

三  以上の次第であるから、原告の本訴請求には理由がある。

(裁判官市村弘 裁判官中村心 裁判長裁判官満田忠彦は転補のため署名押印できない。裁判官市村弘)

別紙<省略>

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